ラノーン県のミャンマー売春婦が語る過去

ミャンマーと接するタイ南部のラノーン県、開かずの間であるミャンマーが最近この地でも扉を開いた。ラノーンは「密封ビルマから開放」(‘opening a Burmese packing’ )の地となったのである。
ラノーンの第三ラノーンパターニ通り(No.3 Ranongpattani Road)の小さな漁港の町を歩けば、少女達が集まる怪しげ店を見かけることだろう。売春宿である。そこにいる女の子のほとんどがミャンマーから来た処女だった子達。そして彼女達は余儀なくそこで働かされているのだ。

彼女達が言うには、毎月40人くらいの少女達がミャンマー全土から送り込まれてくる。その中には人身売買で売られて来た13、14歳の幼い少女もいる。
現在、200人くらいのミャンマー少女がこの周辺で売春婦として働いてる。また何人かは人気観光地であるプーケットに送りこまれている。


3ヶ月前に「密封ビルマから開放」から来たラノーンのミャンマー人売春婦ティダーさん。
「以前はミャンマーのラングーンのインセインという町で野菜販売していました。10年に知り合ったミャンマー女性がミャンマーのKawthaungという町のレストランで働かないかという話を持ちかけて来ました。お金になるし、良い仕事ですよ。」
「そこで彼女を信じ、友人2人と一緒にKawthaungへ連れて行ってもらいました。」
当時ティダーさんと友達は15歳です。
Kawthaung到着後、それは嘘とわかった。彼女は2日間の密室に監禁されて、ビルマ人と強制セックスさせられた。しかし、その後なんとか逃げ出すことが出来たのです。
ティダーさんは警察署に助けを求めたが、知人の女性が身元引受人となり、ラングーンの家に送り届けるとことでティダーちゃんを受け取りに来てしまい、再び売春宿へ戻されてしまったのです。
「その後、ロープで縛られ、ムチでたたかれました。数日後、数人少女達と一緒にPaukkhaung近くのタイ売春宿に売られました。」
「宿に到着した後、オーナーからピルを飲むよう強制され、飲んだ後眠ってしまいました。目を覚ましたとき、裸にされて血まみれになっていました。 」
ティダーさんは売春宿のオーナーに「お前には購入した金額を返済してもらう必要がある」と言われ、それ以来、彼女は売春婦として働くハメになってしまったのだ。
売春婦の収入は客の数に依存しますが、オーナーは性交1回に付き売春婦から収入の半分にあたる350バーツ手数料として得るようです。
「生きるためにこの仕事以外何をすれば良いか私にはわからない。起こってしまったこと取り消すことはできない。だから、この仕事を続けている。」と語る。
この強制売春労働の原因は、貧困と人身売買に騙された両親の注意不足から。
20代、ティダーさんはKawthaungの海のジプシー家族の娘と言われ馬鹿にされた。面倒もまとものに見てくれない、学校にも行かせてくれなかった母親を嫌っている。そして子供のころから家族を支えるためにいろいろな仕事をして来たと、辛い過去をいくつも語ってくれた。
彼女は二人の子供持ちである。旦那はいない。以前漁師をしていたが、嵐の中の海で死んでしまったと言う。
家族にはダイナマイト漁船やイカ捕り船で働いていると伝えている。
ソース:Plight of Burmese Child Sex Slaves Revealed by THE IRRAWADDY

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